交通事故によるPTSD。

トラックドライバー

毎年、2月3日の節分は近くのお寺に厄除け祈願に行ってるんです。

しかし、事故にあってからは車移動が怖くなってしまって行きたくない病を発症するのですよ。

近くと言っても片道1時間半。移動手段は自家用車のみなので“どこでもドア”がない限り絶対に車で公道を走らないといけないんです。

自分で運転するのは怖いし、誰かに乗せて行ってもらうのはもっと怖い(-_-;)

車もバイクも大好きだったんですけどね(^_^;)

今日は車が怖くなった話を聞いてくださいm(__)m

 

交通事故にあった直後はこんなに怖くなかったんですよ。

あれは。。。警察の事情聴取の時、「転落していたかもしれない。」と警察官に言われた日から始まりました。

なんとか事情聴取が終わって、自分の会社社長にも「100%相手が悪い事故だって言ってもらえました。」と、報告して安心して眠りについたんです。

ウトウトしかけると。。。私は愛機のキャビンの中にいました。

「夢?」と、頭では分かっていたんですが、目覚めることも体を動かすこともできませんでした。

そのまま事故現場の景色になり、あの事故の瞬間に見た映像が目の前に広がりました。

轟音と全身の痛みの中、私の乗ったトラックは外壁を突き破って谷底に落ちていきました。

まるで洗濯機の中で回されているような感覚と、落ちていく気持ち悪さ。

夢なのに遊園地のフリーフォールそのものでした。

「わー!!!(;´Д`A “`」

と、大声で叫んだ瞬間目が覚めました。

目は覚めましたが全身に力が入っていたのか、痛くて動けません。

動悸が激しくて、うまく呼吸もできなくなっていました。

恐怖と痛み、呼吸が苦しいのとでグチャグチャに泣いていました。

この日から眠りにつくとこの現象が必ず起こるようになったんです。

友だちや彼氏に相談してみましたが、「そのうち怖くなくなるよ。」と真剣に聞いてくれませんでした。(このクズ野郎の話は後日聞いてください笑)

あとから診療内科に行ってわかったんですが、この症状は「フラッシュバック」というそうです。

「フラッシュバック」とは、原因になった出来事の記憶が繰り返しよみがえって、強烈な恐怖感、無力感などに支配される現象です。記憶がよみがえるだけじゃなく、実際にその出来事を再び体験しているような最悪な感覚に陥るんです。私の場合、眠る度に事故にあい、ついでにトラックごと谷底に落ちていくオマケ付きでした。

 

私は決して弱い人間ではありませんでした。

今までも車やバイクで危険な目に合っていたし、サーフィンをしてて溺れかけたことも何度もありました。

それでも。。。自分ではどうしようもない圧倒的な恐怖に支配されていました。

このフラッシュバックを毎日 何度も繰り返しているうちに、辛さのあまり正気を失っていきました。

フラッシュバック以外にも、お金のことや体の痛みがなかなか引かないことなどの心配も重なって、私は鬱(うつ)とPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していたんです。

まさか私が? 嘘でしょ?って、最初は信じられませんでした。

事故を経験した人全員じゃないんでしょうが、どれだけ強い人間でも、どれだけ明るく天真爛漫な人間でも心を病むんです。何かのきっかけでスイッチがポチっと入った瞬間から地獄へ落ちて行き、もがいても逃げ出せない感覚でした。

こうなるとまわりのサポートが一番大事になってくるんですが、残念ながら私のまわりはクズばかりでしたΣ(゚д゚lll)ガーン

唯一頼れる娘は、彼氏と同棲を始める準備をしていて、後は引っ越すだけというところまできていたので止めることはしたくなかった。眠れない、食べられない、パニック発作を起こす状況でも、強がりで見栄っ張りな強い自分が勝っていました。

症状が現れてから約1ヶ月半。一人で耐えていた…というより、一人病んでいってたのを心配した母が心療内科に連れて行ってくれて、やっと投薬治療を始めました。

飲めば30分後には歩けなくなるぐらい強い睡眠薬と、抗うつ剤、パニック発作時に飲む安定剤を出してもらいました。

薬は怖いぐらい効きました。

でも、睡眠薬が切れるころ(服用から5時間後)にはフラッシュバックを起こすし、車に乗ればパニックを起こしました。

毎日フラッシュバックを起こしていたあの頃、震えながら号泣している自分をただ抱きしめて背中をさすってもらいたかったし、そばにいてほしかった。「大丈夫、大丈夫」と言ってもらいたかったです。

PTSDは経験した人にしか分からない苦しみなのかもしれません。でも大切な人がPTSDで苦しんでいたなら、とにかくそばにいてあげてください。時間はかかっても必ず良くなっていきます。

どんなに良い薬よりも、安心させてくれる誰かの優しい気持ちの方が薬になります。

 

なんだか宗教チックになってしまいましたが(;’∀’) 心の病は薬よりも“愛情”なんです。

 

あれから数年経ち、まだ年に3回ぐらいはフラッシュバックを起こしてしまいますが、泣きわめくほど辛いものではありません。慣れたんですかね(* ´艸`)

今でも過呼吸と動悸と全身筋肉痛、あと絶望感のような冷めた感情だけは残りますがフラッシュバックの次の日でも車の運転ができるようになりました。

薬のおかげもあるかもしれませんが、毎日襲ってくる希死念慮とひとりぼっちで戦った私の勝利だと思っています。そんな自分を抱きしめて褒めてあげたい\(-o-)/

彼?彼は何も助けてくれませんでしたよ。

何年も付き合っていたんですけどね。私が助けてって言わなかったから助けなかったそうです。(本当にクズ野郎!( `ー´)ノ)

 

そんなクズの話は置いといて、うちはとても田舎なので車がないととても不便です。

事故で背骨を悪くしたから自転車にも乗れなかったし、毎日少しでも運転して買い物に行くようにしていました。

それに。。。車が好きだから。いつか又大好きなトラックに乗りたいから今でもがんばって車に慣れる努力をしています。

 

だから、往復3時間の厄除け祈願をドタキャンするわけにもいかないんですよね。ここでも負けず嫌いの自分がガタガタ震えながらも“ええカッコ”しようとするんです笑 今ではそんな自分がかわいいし好きです。

私は、子どもの頃から自己肯定感がとても低かったんですが、この事故から少しずつ自分のことを好きになってきています。自己暗示みたいなもんですが(また宗教チックになってきた笑)。この話はまたの機会に聞いてくださいね。

 

さてさて、そんなこんなで今年も厄除け祈願が無事に終わりました。

前日から緊張して眠れなくても、行けば空気が澄んでいてとても気持ちが良くなりました。苦手なことを克服した達成感もあるんでしょうね。

お寺の帰りは一緒に行った弟が運転をしてくれたので、ビビりながらも景色を楽しむこともできました。山の緑もキレイだけど、やっぱりスライドするトラックのカッコいいこと♡たまりませんね(*”▽”) イケメントラックを堪能していると、自分の働いていた運送会社のトラックとも何台か会いました。あちらもこちらも気付いているけど無言スルー。いろいろあったからね。まだ笑って話せないかな( ノД`) 知っているトラックや運転手を見ると、悔しいやらせつないやら複雑です。

 

でも。。。こうして少しずつでも前に進んで行きたい。

年齢なんか関係ない。また大好きなトラックに乗るためにできることをやっていこうと思います。

 

同じようにPTSDで苦しんでいる方や大切な方が苦しんでいるけどどうしてあげたらいいか分からないという方に読んでいただきたいです。克服するまでの詳しい話もいつか書きたいなあ。

同じ悩みを持つ者同士コミュニティとか作れるといいですよね。“優しさ”や“愛情”で治る病気もありますから。そんな優しいコミュニティがあれば教えてくださいね。

 

今回も長々と読んでいただいてありがとうございます。

また覗きに来てくださいね。

 

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