他人の事故で金儲けする職業(前編)

お金のこと

ども!!毎度です(^_-)-☆

交通事故の裁判が長引いていて、心身ともにまいっているなんこです(-_-;)

物損の裁判は終わったんですが、続いて人身傷害の裁判を起こしています。

物損の裁判で過失割合が決まっていたので、損害賠償請求→示談。と、スムーズに進むと思っていたんですが、謝罪がないどころか相手は争う姿勢を崩しません。少しでも賠償額を下げようと、あの手この手を使ってきます。

裁判の勝ち負けよりも、自分の過失を認めない、謝罪しない姿勢に疲れてしまっています。罪を認めて謝ってくれれば、ここまで争うこともなかったでしょう。そこは、お互い仕事中の事故だったので、会社同士の争いになっていることも原因なのかもしれません。

交通事故は全てを奪ってしまいます。交通ルールを守って安全運転を心がけてください。

規則を破ることはカッコ良くなんかないです。優しくスマートな運転こそカッコいいんです。

 

さて、気を取り直して今回はメディカルサポーターという職業についてお話していきます。

一般的にメディカルサポーターとは、医療や介護の現場で医療行為を行わない職種のことを言うようです。

例えば、ケアマネジャー・社会福祉士・介護福祉士などがあたるようですが、明確な定義はないようですね。

なので、後遺障害申請を代行する職業もメディカルサポーターと名乗ってもいいのでしょう。

じゃあ、そもそも交通事故の後遺障害等級の申請とは? 手順を書き出してみます。

①治療開始から半年が経過している。その間90日(回)程度通院している。

②治療開始から半年経っても何らかの症状が残っている。

③主治医に後遺障害診断書を作成してもらう。(症状固定)

④自賠責損害調査事務所に診断書やその他の画像を送る。(被害者請求の場合) この他に、任意保険会社に手続きをお願いする事前認定という方法があります。

⑤結果(等級)が出る。結果に納得できない場合には異議申立てを行う。

⑥自賠責分の賠償金(保険金)を受け取る。

※交通事故治療を労災で行っている場合には労災にも申請できます。

 

私が依頼したメディカルサポーターは今後“Aさん”と呼ぶことにします。

 

Aさんには上記の③~⑥をお手伝いしてもらうことになりました。

私が知っているメディカルサポーターは、このAさんただ一人なので、偏見100%なことをご理解の上読んでください。すべてのメディカルサポーターが同じとは限りません(たぶん)。

 

私がAさんに会ったのは事故から3か月経った頃でした。ちょうどPTSDと鬱で一番弱っていた時期です。

「すごい頼りになる人がいるから、一度会ってみたら?」と、友人に紹介されました。

私は、保険屋とも揉めているし、会社とも微妙な感じだったので相談する人がいなかったんです。もう、藁にもすがる思いでAさんに会いました。

Aさんに事故のことを詳しく話したら、彼は私の話を聞いて泣いたんです。泣きながら「辛かったね。もう大丈夫。」と言って私のことを100%肯定してくれました。

「相手に真実を話させて、謝罪させたい気持ちはわかります。同じ体(ケガ)にしてやりたいという気持ちもわかります。でも法律で復讐は許されていないのです。なので、できるだけいっぱいお金をとりましょう。」と、後遺障害等級を申請するようにすすめられました。

後遺障害の等級は1~14級まであります。等級が取れれば逸失利益を相手に請求することができます。

 逸失利益とは、事故がなければ得られていたはずだった利益(収入)です。これは損害賠償の中に含まれるのですが、決まった計算方法があるようで、弁護士さんが計算してくださいました。等級によって、損害賠償の請求額が100万円~1000万円変わってくるらしいので、等級を取るに越したことはないでしょう。

もうひとつは後遺障害給付金です。裁判や示談が済んでいなくても、等級が出れば自賠責保険と労災保険から給付されます。どちらも、申請が必要ですが金額もかなり大きい(自賠責は75万円~4000万円)ので申請してみた方がいいです。損害賠償請求時には、等級をふまえた額を後遺障害慰謝料として相手に請求することもできます。

 

心が弱っていた私は、AさんとAさんを紹介してくれた友人を信じて全部お願いすることにしました。

 

Aさんと私は今後の計画を立てました。

  1. 事故から半年後の○月までに、通院実績90日(回)を達成すること。※毎日通院することにしました。
  2. 主治医と仲良くなっておくこと。※後遺障害診断書を作る際に意見しやすくするためです。
  3. 症状が良くなっても、良くなっていると言わないこと。※症状を偽装しろ、という指示でした。

診断書作成時にはメディカルサポーターが立ち会うので、「あとは任せろ!」と言っていました。ようは、主治医にこちらの希望通りの診断書を書かせてみせると、自信満々でおっしゃっていました。

1.2.は普通に通院していれば達成できますが、正直…3.は私の性格的にできないのでお断りしました。曲がったことや筋の通らないことが大嫌いな昭和女ですからね。

 

Aさんの成功報酬は3割です。私の弁護士さんへの成功報酬が12%だと思うと、とても高い報酬ですよね。さぞかし良い働きをしてくれるんだろうと期待していました。

ちなみに、この頃はまだ弁護士さんと出会っていません。先に弁護士さんにお願いしていれば、Aさんにはお願いしていないでしょう(後悔)。この事故に関しては、後の祭りだらけです。免許を取って運転する以上、ましてや職業ドライバーなら事故に関しての知識をもっているべきだったと反省しています。

 

私が通っていた“医院”は小さな医院でしたが、整形外科、リウマチ科、内科、外科、皮膚科、放射線科、アレルギー科、リハビリテーション科 と、院長が一人で手広く診療されていて、地元では有名でした。

理学療法士も居ると聞いて、この医院に決めたのですが、実際リハビリを始めると機械で首や腰を引っ張ったり、電気で患部を温めたり。。。機械を操る女性が2,3人居るだけでした。理学療法士は?と助手の女性に聞くと、以前はいたが今はいないと、何か言い難そうに教えてくださいました。早い話が、ワンマンで圧の強い院長に我慢できず辞めたそうです。

リハビリに不安を感じましたが、パートナー(クズ)や友人に「リハビリってそんなもんなんじゃない?」と言われ、私も整形外科は初めてだったので、そのまま様子を見ることにしました。

今思えば…労災がおりるまで自費の期間が1ケ月あったんですから、その期間にいろんな病院を受診しておくべきでした。 全身痛いし、PTSDのせいで運転もタクシーも怖かったので、いろんな病院を受診するのが面倒だったんです。早々にこの医院に決めてしまったことをとても後悔しています。

 

事故から約3ヶ月後、全身の症状が一向に改善されないので、背骨のMRI検査をしました。

検査結果で、ヘルニアが10ヶ所以上あることがわかりました。ですが主治医は、「事故が原因でこれほどひどいヘルニアになったのなら起きていられないはずだ。」「事故前からあったヘルニアが徐々に悪化しているんじゃないか。事故が原因と立証するのは難しい。」と、言い出したのです。

だから最初から「死ぬほど痛い」って言ってるでしょうが!と、何度も主治医と口論になりました。

そもそも、ヘルニアがあったらバラ積みバラ下ろしの仕事なんてできないと思うんですが、力仕事をしていたからヘルニアなんじゃないかと言われると、何も言い返せないですよね。 事故前は本当に痛くなかったんだよ。元気に仕事していたんだよ。主治医ぐらい信じてよ。。。

「主治医と仲良くなる」ミッションが台無しです。

その後も主治医とはヘルニアの原因や治療について度々もめました。そりゃ理学療法士も辞めるはな。新しい先生も入って来ないはな。。。と、納得するほど、主治医はワンマンで高圧的な人でした。おまけに嫌味で意地悪。事務員さんや看護師さんも毎回先生に怒鳴られていて、それを見ている患者側もとても居心地が悪かったです。

そんな主治医でしたが、私は“プロのメディカルサポーター“を雇っているんです。大船に乗った気持ちで通院していました。目的は事故の相手をギャフンと言わせる。ただそれだけです。

 

ほぼ毎日、機械だけのリハビリに通いました。

そして2週間に1回お腹いっぱいになるくらいの薬を処方してもらい、硬膜外ブロックという痛み止めの注射を背骨に打ってもらうのです。

しかしこの注射、私にはほとんど効きませんでした。効果には個人差があるようです。

ヘルニアの手術も考えたんですが、患部が多すぎることと、手術しても元通りに治る補償がなかったのでやめました。

そうこうしているうちに、事故から1年が経ちました。通常の交通事故なら、事故から6カ月ぐらいで治療打ち切りになるケースが多いのですが、労災での治療は長めにみてもらえるようでした。毎月、主治医から労災に症状や治療の状況などを説明する“意見書”を提出してもらい、労災担当者も怪我の重症度を理解してくださっていました。主治医が症状固定するまで労災側から治療打ち切りは言い出さないと、言ってくれていました。

しかし、症状固定をして後遺症などがはっきりするまでは損害賠償請求も、裁判も始めることができません。第一、この医院でいつまでも治療してても治る見込みは全くありませんでした。

この頃から、セカンドオピニオン、サードオピニオンにかかり、整骨院にも通いました。すべて自腹でしたが、損害賠償や慰謝料をもらうことよりも、怪我を治してトラック運転手に戻ることの方が私には重要でした。

Aさんは「良くなり過ぎたら等級がとれなくなる。その場合には多少の演技(嘘)が必要。」と言っていましたが、治って仕事復帰できれば万々歳なんです。

 

事故から1年半経ったころ、ようやく症状固定されることになりました。

やっとです。やっと先に進める。

残念なことに症状はほとんど変わっていませんでした。首と腰を中心として、背骨全体にヘルニアがあったので、左腕、両下肢に痛みやしびれ等の神経症状が常時残っていました。その他にも、めまい、吐き気、頭痛などが頻発していました。特に左手は、感覚も鈍く家事をするにも不自由です。

 

後遺障害診断書を書いてもらう前に、Aさんと打ち合わせしました。

A「下肢の症状は治ったことにしましょう。

私「???」「全然治っていません。むしろ悪くなっています。」

A「患部がたくさんあっても、併合されてひとつの等級しか出ないので意味がないんですよ。今回は首のヘルニアと左上肢の神経症状だけでいきましょう。」

私「それでも両下肢に後遺症が残っているのは事実ですから、主治医にはそのように診断書を書いてもらいたいです。それに、治ったなんて嘘をついたら今後の裁判にも影響するんじゃないですか?」

A「そうすると、次の事故の時“腰のヘルニア”は使えなくなりますよ。次のことを考えると、下肢は残しておく方がいいです。」

私「次の事故???」「次の事故なんかあってたまるか!! 悪い所を治りましたなんて言えません!私は事故で儲けようなんて思っていない。その気持ちはAさんも分かってくれていたんじゃないんですか?」

しばらくAさんと口論しているうちに気付きました。Aさんの仕事は他人の事故で金儲けすること。決して依頼者を救うのが使命じゃない。

そして、Aさんを紹介してくれた友人も何度も追突される事故を起こしているので同じ類の人間なんでしょう。

またしても今頃気付いてしまった(--〆)

この頃には、鬱やPTSDはだいぶ良くなっていて、抗うつ剤や安定剤を飲まなくなっていました。

クリアになった頭と心は、怒りも当然のように湧いてくる訳で。。。

Aさんにお願いするのはもう辞めようと思いましたが、味方のいない状況でこれ以上厄介なことは控えるように家族にも説得されて、Aさんには引き続き代行業務をしてもらうことにしました。もちろん、依頼者の私の希望を100%聞くのが条件です。

 

そして後遺障害診断書を書いてもらう当日、Aさんと一緒に医院に行きました。

通常なら、この日までに足らない検査などをやっておく必要があったのですが、私の場合は十分な検査データ(証拠)がそろっているとAさんが言うので、後は診断書を書いてもらうだけです。

その日の院長先生は、いつも以上に機嫌が悪くて看護師さんや事務員さんを怒鳴り散らしているのが待合室まで聞こえていました。

私は1年半この医院に通って、院長先生の不機嫌には慣れているのですがAさんは違います。顔色はどんどん悪くなり、Aさんの顔はこわばってきて必要以上に緊張しているのがわかりました。

私は少し心配になりましたが、そこは“プロ”ですから。

「先生いつもあんな調子だけど大丈夫ですよ。今日はちょっとご機嫌ななめだけど、話はちゃんと聞いてくれるはずです。Aさん後は頼みましたよ。」と、Aさんに声かけしていました。

 

私たちの番になりAさんが院長先生に自己紹介しました。

弁護士の代理で参りました。メディカルサポーターのAと申します。今日は診断書作成の立ち合いに参りました。よろしくお願いします。」

院長先生は、あからさまに嫌な表情になりました。“弁護士”へのライバル心というか、プライドを感じました。

私もAさんの自己紹介を聞いて、「弁護士の代理?初耳なんですけど?」と、聞いていなかった話に???首をかしげました。

それでも院長が立ち合いを認めると、診察と検査が始まりました。通常の診察ではなく、Aさんが立ち会うことで“面談”という形になるので、保険はきかず10分1000円という面談料金が発生しました。後遺障害診断書を作ってもらうためなら仕方ない出費なのかもしれません。

 

そして一通り神経反射などの検査をしてもらい、問診へと続いていよいよ診断書作成です。

しかし、Aさんは何も言いません。

問診時も院長先生は不機嫌で、いつも以上に看護師さんや事務員さんに怒鳴っていました。

問診をしながら院長先生が診断書を書いていきます。

私が院長先生にアレコレ言って診断書を書いてもらっている間、Aさんは私の後ろでずーっと小さくなって気配を消していました。本当ならAさんが私の代わりに専門的な意見を言う場面です。

Aさんが何も言わないので、私は素人ながら一生懸命に症状や生活する上で困っていること等を院長先生に伝えました。驚くことに、最後までAさんは何も意見せずに診察は終わりました。

成功報酬3割の働きはいつ見せてくれるのかな?

 

後遺障害診断書の作成…Aさんや友人から聞いていたのと全然違っていたので、当然不安でした。

Aさんに診断書作成に、なぜ何も意見しなかったのかたずねました。

「あの状況(院長先生の機嫌が悪い)で僕が先生に意見すると、最悪診断書を作成してくれなくなるかもしれなかったので。幸い、なんこさんがきちんとお話できていたから僕が補足することはありませんでしたよ。」とAさんは言って、さっさと帰って行きました。

何事も初めての経験ですから何が普通かもわかりませんが、冷や汗をかきながら一生懸命院長と話している私の後ろで、小さくなって息をひそめていたAさんに不信感しかありませんでした。

 

なにはともあれ、無事に後遺障害診断書は書いてもらえました。診断書は何通か必要だったので、できあがったら後日連絡をもらえます。申請には診療明細や検査データも必要なので後日いっしょにいただくことになりました。

 

ですが、「やっと終わった」とはならず、この後さらにAさんの怠慢があふれ出てきます(笑)

少々長くなってしまったので、続きは後編で。

 

長々と読んでくれてありがとうございましたm(__)m

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