朝4時。
今朝は久しぶりにフラッシュバックを起こして目覚めました。
事故直後は毎日フラッシュバックが起きていて心身ともにボロボロになっていました。
事故から数年が経ち、当時の記憶も薄れつつありますが、フラッシュバックを起こすと鮮明に思い出しますね。
もはや、本当の記憶なのか恐怖を凝縮した映像なのかはわかりませんが。
今日は、生活を一変させた事故がどのようなものだったのかお話しようと思います。
その日は祝日でした。
夜中から始まり、正午には終わるルート配送のサービスドライバーをしていました。
配達を終え、そろそろ交通量が増えてくるかな?と思う時間帯に車庫に向かって走っていました。
同じルートを走っている同僚と仕事終わりに王将で餃子を食べて帰る約束をして、その日も私はご機嫌でした。
すると突然トラックが失速しました。低速ギアに入れても何をしてもドンドンスピードが落ちてきてしまいます。
この先は急勾配が続きます。「どこかに停車しなければ!!」
私は落ち着いて近くのコンビニの駐車場に入りました。
なぜ落ち着いていたのか。。。
トラックの運転中に失速することが初めてじゃなかったからです。
同僚ドライバーも何人も同じ故障を経験していました。今思えば、こんなにも故障が多い運送屋はこの会社が初めてでした。
コンビニの駐車場の隅にトラックを停めて、会社の車両責任者に電話をしました。
現状を説明すると、
「なんとか帰ってきてよ。峠ひとつ超えたら会社まですぐでしょ?」と、いつも通り言われました。
普通ならレッカーを手配したり、修理屋さんに出張で来てもらうんですが、うちの会社はトラックが少しでも動くなら走って帰って来いというのが当たり前になっていました。
おそらくターボが寿命なので壊れたら修理に出そうとも言っていました。
いやいやいやいや。。。もう壊れてるでしょ?と、言いたかったのですが、上司とは毎日のように喧嘩状態になっていたので上司に意見することに疲れていました。これが最大のミスでした。
それでも小一時間トラックを休ませているとトラックは復活したので、私は会社に向かってトラックを出発させました。
ですが、案の定30分ほどでまた失速しはじめました。
初めてじゃない故障。今までも怖い目に何度も合ってきているのに、その日はものすごい恐怖に襲われていました。今思えば事故を予見していたのでしょう。
ハザードランプを点灯させて後続車に故障を知らせました。
「怖い!怖い!怖い!」
「路肩によせてレッカーを呼んでもらおう」と、ひとりブツブツ言っていました。
大きなトラックです。少しでも道幅が広くなっている所をみつけて止めようとしている所に大型トラックが後ろから突っ込んできました。
その時の光景は今でも忘れることができません。
私のトラックの頭は左に大きく振られ、左側の法面を駆け上がったように感じました。
スローモーションでフロントガラスに一瞬空が映ったのをぼんやりと見ていると、轟音とものすごい衝撃が全身を襲いました。
後日、事故現場の写真を見せてもらうと、トラックは反対(後ろ)をむいて横転していました。
そこから先はあまり覚えていませんが意識はあったようです。
何人もの人がトラックのキャビンから助け出してくださいました。
中にはお医者さんもいらっしゃったように記憶していますが、お名前などを聞くこともできず今もお礼ができていません。
誰かが警察や救急に連絡を入れてくださったようで、しばらくするとドクターカーと救急車が到着しました。
全身の痛みと息苦しさはあったものの支えてもらえれば歩けたようで、後日警察官に「ご自分で歩いてストレッチャーに乗られましたよ」と笑顔で言われました。
ドクターカーで処置されたあと救急車に移されて、救急隊員に住所を聞かれました。
できるだけ住まいの近くに救急搬送してくださるとの配慮でした。
大きなトラックが2台グチャグチャになり、その後半日間道路は封鎖されたようですが幸か不幸か他の怪我人もなく私だけ救急病院に搬送されました。
こんなこと言うとアレですが、硬いストレッチャーに全身を固定され、サスペンションの悪い救急車での爆走は地獄のような痛みでした。かと言って「もう少しゆっくり走ってください」とは言えない立場なので、自然に流れてくる(痛すぎて)涙を拭くこともできず我慢しました。
幸運にも命は助かりましたが、本当の地獄はこれからでした。
人間の汚さやズルさ、後悔しかない事故対応を次回はお話したいと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
また続きを見にきてくださいね。
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