親を捨てる日。

HSP

毎度~!!なんこです(*ΦωΦ*)

寒くなってきましたね。

普段バイクでうろうろしているんですが、手足の指がちぎれてるんじゃないかと思うぐらい痛いです笑

 

さて今回は、うちの“母”の話しです。

母と呼ぶのもはばかられるけども。。。

幼い頃の記憶は少ないですが、私の人格形成に大きく関わり、今もなおダメージを与えてくる人です。

 

普通の「お母さん」がどんなものか分かりませんが、うちの母は「外面だけいい人」でした。

 

料理上手で家事の好きな「良き妻」を演じていましたが、実は家事が大嫌いな人でした。いくら取り繕っても、化けの皮は徐々にはがれていきます。

良き妻を演じる努力もずっとは続かないし、それと共に父も変わって行きました。

我が家の崩壊は全て“この人”から始まっていると思っています。

 

DMをくださった読者様とは直接毒母のお話しをしたので、知ってくださっている人も多いですよね。

 

外ではとても明るく、私たちのこともアクセサリーのように連れまわすこともありました。

外で全エネルギーを使うので、家では誰も居ないと気だるそうにしていて、家事は一切やらない。

基本、父か父のお客さんの為にしか家事はしないんです。

父が出張で数日家を空けると、私たち姉弟はまるで『居ない』存在でした。

 

母からは暴力こそありませんでしたが、家と外との態度の違いに、子どもながら引いてましたね。

あとは口の悪さ。

九州出身の人が無理やり関西弁を喋ろうとするせいか、性格の問題なのか 言葉が汚いのです。

男言葉というか…単純に下品。

とにかく母の喋る言葉が嫌いでした。

 

私はHSS型HSP特有の『冷めた子ども』でしたから、いつも冷静に母を見ていました。

 

母は、自分は『特別な存在』『助けてもらって当たり前』と思っている所があります。

父の会社で働いている人を呼びつけては買い物などに同行させていました。

少し大きくなってから気付いたのですが、とても『男の人が好き』です。

それは70歳が近くなった今も変りません。

今でも家に寄っていく男性のために酒やつまみを用意しています。他人をもてなす為に、うちからオカズを取って行く事もよくあります笑

 

幼い時から母のこの様な姿を見てきて、私は異性関係に嫌悪感を感じるようになりました。

今でもパートナーと関係を深める過程が苦手で、特に肉体関係を進めるのが苦手です。

進んじゃえばどうってことはないんですけど、進むまでの自分との葛藤が大変なんです。

 

私は、アダルトチルドレン(AC)の中で『ケアテイカー』と呼ばれるタイプの子どもでした。

ケアテイカーとは、家事をしない親に代わって家事をしたり姉弟の面倒をみたりします。自分自身のことは何でも後回しにして、家族が崩壊しないように献身的に世話をするのです。その姿は、自己犠牲的であり自虐的でもあります。

誰に教えられるでもなく自然とケアテイカーの役割をしていました。

そして、こんな年齢になった今でもそれは続いています。

 

30代になろうかという時に、家族や友人、仕事も全部捨てて娘と2人で他県に引っ越したんですが、毒母はしれ~っと追いかけてきました。

すぐ近くに家を借りて住んでいましたが、子育てを手伝ってくれるわけではありません。

買い物、家事、金銭etc….。

こちらに甘えてくるばかりです。

一度 娘が嘔吐下痢症で学校を休んだ日、私はどうしても仕事が休めなかったので 母に看病を頼みました。

母は渋々家に来てくれたんですが、これが後に娘のトラウマになってしまいました。

娘のベッドの枕元には吐き気をもよおした時用に洗面器を置いていました。

しかし娘はトイレまで行こうとしたんでしょうね。

間に合わず途中の廊下で吐いてしまったんです。

それを見ていたうちの毒母は、「もーー!!腹立つーー!!」と怒ったそうです。

その後も口汚く文句を言いながら一応掃除はしてくれたみたいですが、娘の心には深い傷が残りました。

この場に他の男性でも居れば機嫌よく看病してくれたんでしょうけど。。。残念ながら、自宅で2人きりの環境では期待できません。

このころ娘は小学4年生でしたが、その後はあまり学校を休むことはありませんでした。

余程 嫌な思いをさせたんだと思います。

 

世話をされるのが当然と思っている人と、仕方なく世話をしてしまう人。

これは離れるしか変えられないんです。

私は母を捨てようと決めています。

 

虐待の内容は他にもあるんですが、思い出せる範囲でこれからも書いて行きます。

虐待経験者の方からもDMをいただくのですが、詳しく話したがらない方が多いんですよね。

私もそうなのですが、虐待されてきた自分や親の事を恥じているからだと思います。

 

自分自身の虐待の記事を書くのは いつも苦労しますが、過去を思い出して それを認めることでACの症状は改善されていくので、これからも続けて行きます。

 

ご自身の虐待経験を誰にも話せず苦しんでいる方はTwitterの方にDMくださいね。

なんこで良ければお話しを聞かせていただきます。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

また覗きにきてくださいね!

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先日、友人の車の中で大黒摩季さんの曲を喉がかれるまで熱唱しました。大黒摩季さんの曲は、聴いても歌っても元気が出ます。『ずっとずっと一緒に居ようね。』

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